7月8日、元内閣総理大臣安倍晋三氏が奈良市で衆議院選挙の応援演説中、暴漢に襲われ凶弾に倒れました。私が第一報を耳にした時は俄かに信じられませんでした。21世紀にもなって、法治国家の日本において、あり得ない事象と思ったからです。しかし現実に暗殺されてしまったと知り、大きな無力感と喪失感を感じています。
在位8年8カ月と憲政史上最も長く、テレビのインタビューを受けた10代の女性は「長期政権だったから、物心ついたころから安倍さんが総理だった。だから私が思う総理大臣は安倍さん。」と答えていました。
海外での反響も大きく、アメリカのホワイトハウスや米軍、連邦政府の施設では半旗の掲揚で追悼の意を表し、インドやブラジルでは国を挙げて喪に服したと聞きました。主要な世界各国の指導者ほとんど全員が、遺徳を偲び追悼の声明を発表しました。その存在、その大きさを知る思いです。
安倍元総理が、今年3月に近畿大学の卒業式で約6000人の出席者にエールを送ったときのスピーチをここに紹介します。同大学の卒業生の皆さんに対してのものですが、若い人たち全員へのメッセージでもありました。多くのメディアでとりあげられていたから知っている人もいるでしょうが、その言葉を皆さんにも聞いてほしいと思います。
安倍元総理は平成18年(2006年)、52歳の時に戦後生まれ初、最年少で総理大臣に就任しました。しかしながら政権運営が混迷、選挙で大敗し、持病の潰瘍性大腸炎の悪化も重なってわずか1年で第一次安倍政権は終わりました。(以下太文字は安倍元総理のスピーチを引用)
「政権を投げ出した。日本中から厳しく批判されました。
私の責任です。
私の政治家としての自信や
誇りは砕け散ってしまった。もう安倍晋三は終わった。
みんなそう思ったんです。」
幸いなことに潰瘍性大腸炎に効く薬が開発されて体調は戻るのですが、政治家としての自信はまだもどって来なかったそうです。
そんなとき、東日本大震災が起こりました。想像をはるかに超えた被害を受けた被災地の人たちが、懸命に立ち向かう姿に勇気をもらい、政治家としての使命を感じ再び総裁選に臨むことを決心したとおっしゃっています。そして自民党総裁選で勝利し、2度目の総裁に復帰、その後自民党は政権を奪還します。
「なぜ不可能と言われた、総理への再登板が可能となったか。
それは決して私が特別優れた人間だったからではありません。
残念ながら特別強かったからでもない。
ただ一点
決して諦めなかったからであります。
そして、諦めない勇気をもらったからなんです。
そういう仲間たちと一緒にチームで同じ方向に向かって進むことができたから
なんです。
そして、その仲間の多くは、第一次政権で同じように失敗をし、挫折をし悔し
い思いをし、唇を噛んだ。
それが生かされたんだと思います。」
「皆さんもこれからの長い人生、失敗は付き物です。
人によっては何回も、何回も何回も失敗するかもしれない。
でも大切なことは、そこから立ち上がることです。
そして失敗から学べればもっと素晴らしい。
必ず糧になる。」
「若い世代の皆さんと話をすると
世の中のために地域や日本や世界のために
何か役に立ちたいと、
こう思う、こう考える人が
本当に多いので驚かされています。
ですから私は皆さんに期待しています。
どうかチャレンジして
そして失敗しても立ち上がってください。
そして、皆さんの溢れる若い力で
よりよい世界を創ってください。」
この安倍元総理のスピーチは元総理大臣という立場だけではなく、自身が歩んでこられた経験から来るもの、人生の先輩として心の底から伝えたいと純粋に思って語った言葉に違いありません。
「若い人たちに期待している」安倍元総理と近い年代の私も本当に深くうなずく思いです。
政治家にとって政権を明け渡すということは慙愧に耐えないことだったでしょう。潰瘍性大腸炎という難病と闘う日々、「なんで私がこの病気に」と悔しかったと想像します。でも、自身がおっしゃるようにそこから得たものも沢山あった。「あの失敗があったから、あの悔しさがあったから」と長い目で見ると思える日が来るのは本当だと思います。
今月27日、国葬儀が予定されています。非業の最期を遂げた安倍元総理に礼を尽くし哀悼する。それは日本人が美徳とするところだと私は思っています。
【近畿大学卒業式】元内閣総理大臣 安倍晋三氏によるスピーチ全文