秋が深まってきました。先月は「食欲の秋」にちなんだ話題でしたが、今月は「読書の秋」がテーマです。読書と聞いて、図書館を思い浮かべる人が多いかもしれません。公立の図書館は誰でも利用できますが、無料で利用できるようになったのは第二次世界大戦後から、わずか80年しか経っていないそうです。そこで今回は、読書と図書館の歴史についてちょっと調べてみました。
日本に漢字や書物が伝わったのは、紀元4〜5世紀ごろと言われています。この時、朝鮮半島から紙と墨がもたらされ、印刷技術がなかった時代には漢籍や経典の手書きが行われました。これらの文献を保管するために経蔵や文庫が建てられました。
7世紀になると律令国家が形成され、紙や木簡を使用した行政資料や国史、記録文書が多く作成されます。保管する重要な機関として図書寮や政府の記録庫である文殿が設立されました。図書寮には「古事記」、「日本書記」、「風土記」など、この時代に編纂された文献も保管されました。
平安時代には、仮名文字が誕生し、日本独自の文化が花開きます。貴族文化も栄え、「伊勢物語」、「枕草子」、「源氏物語」などの名作が誕生。これらの書物を保管するために、貴族の邸宅には文庫が建てられることが多かったようです。
中世には武士の時代が始まり、武家文化が栄えました。多くの軍記物語が執筆され、「平家物語」や「吾妻鏡」などが広まりました。武士の台頭に伴い、文化が地方に広まり、有力な武士も文庫を持つようになりました。
鎌倉時代には、北条実時が「金沢文庫」を設立。この文庫には学問の書物や漢籍、国史が収集され、北条氏以外の一部関係者や僧侶にも限定利用されていました。
室町時代には、日本最古の学校である「足利学校」が設立されます。儒学が中心で、武家への助言者を養成するためにつくられ、入学者は僧侶に限られていました。
ここまでの時代を振り返ると、文殿や文庫など各時代で生み出された文献や書物を保管するための今でいう図書館のような施設が築かれ、代々大切に受け継がれてきたことが分かります。ただし、利用は貴族、武士、僧侶など特権階級に限られていました。
そして江戸時代。約260年にわたる平和な時代に、貨幣経済が発展し、商人や町人の存在が大きくなりました。この頃、庶民の間で寺子屋での教育が広まり、識字率が向上しました。その結果、本を売る本屋や貸本屋が現れ、印刷技術の発展により多くの書籍が流通し始めます。特権階級から庶民まで様々な階層から芸術や文化が生まれ、庶民でも読書を楽しむことができるようになりました。
江戸から明治へ。この時代、図書館の必要性を最初に訴えたのは、諸外国を視察した福沢諭吉でした。明治5年には書籍館や集書院が設立されました。これは身分による制約がない点では画期的でしたが、利用には費用が必要だったのです。明治32年には、日本初の図書館に関する法律である「図書館令」が公布され、公共図書館が全国に普及しましたが、ここでも閲覧料が必要でした。
大正時代には、天皇の御大典記念事業により今の都道府県立図書館につながるものが多く創設されましたが、ごく一部を除いてはまだ有料でした。
そして昭和20年からは、第二次世界大戦敗戦に伴いGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指示のもとで日本の占領政策が進められました。昭和25年に図書館を無料にするとの方針が打ち出され、「図書館法」が制定されて、誰もが無料で利用できるようになりましたが、一方で、多くの日本の書籍がGHQにより焚書(書物を焼却する行為)となって姿を消してしまったことは、実に残念でなりません。
本を読むこと、知識を得ることは、人間にとって普遍的な欲求です。最近では「読書離れ」という言葉を耳にしますが、長い歴史を振り返ると、日本で誰もが気軽に読書が出来るようになったのは、先にも述べたように寺子屋が普及しはじめた18世紀ごろの江戸時代中期以降。図書館が無料で利用できるようになったのは近年のことです。そう考えると、自由に読書ができるのはありがいことです。天高く馬肥ゆる秋、大いに読書に勤しみましょう。
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*履正社は、読書という楽しみを多くの人たちと分かち合いたいと考えています。2026年、本学園は十三の駅前、旧淀川区役所跡地開発に伴い、地域と共に歩む図書館の開設を予定しています。ご期待ください。