「真善美(しんぜんび)」という言葉があります。学校法人履正社の学園歌にも登場します。「真」とは、嘘偽りのないまことのこと。「善」とは、道徳的に正しいこと。 「美」とは、美しいさまのこと。これら三つは、人間が理想とすべき最高の状態とされています。つまり、「真善美」を体現することが理想的なあり方であり、私たち人間の行動規範とすべきものです。
さて、今回はアフリカのコンゴについて、そして「サプール」と呼ばれる豊かでなくてもエレガントに生きる紳士たちの話を紹介しましょう。
コンゴは1960年代までベルギーやフランスの植民地でした。今は独立し「コンゴ民主共和国」と「コンゴ共和国」の二つに分かれています。
コンゴ民主共和国は、アフリカで二番目に国土が大きく、独立後内戦を経て1971年に国名を変更、私が地理の授業で習った頃はザイールと言いました。しかし再び内戦が起きて政権が変わり、97年に現在の国名になります。残念なことにその後も紛争は続きました。今は比較的落ち着いているようですが、不安定な状況下にあるようです。もう一方のコンゴ共和国は日本とほぼ同じ面積ですが、人口は約32分の1、コンゴ民主共和国と川を挟んだ位置にあります。
このニつのコンゴに「サプール・SAPEUR」という男性の集団がいると知りました。国民の平均月収が3万円前後と決して豊かとは言えません。それでも彼らは収入の多くをつぎ込み、1着20万円もするような欧米の高級ブランドスーツを独自のファッションセンスで着こなすのです。単に高級ブランドの服に袖を通しているというのではなく、それぞれの体型や個性に合わせた着こなしは、最高に似合っていて、コーディネートぶりが実に洗練されて圧巻です。「サプール」とは、「おしゃれで優雅な紳士協会」という意味のフランス語の頭文字をとって「サップ・SAPE」と言い、サップに属する人々を「サプール」と呼ぶそうです。
日本の外務省HPでコンゴを紹介するページにサプールのことが記載されています。それによると彼らのモットーは「平和」
「何があろうと決して暴力を振るわない」
「胸を張り背筋を伸ばし、優雅に歩く」
「どんなときも心は貧しくならない」をスローガンに、美意識を磨きエレガントに生きることを追求する。それが流儀。単なるお洒落好きではありません。
彼らのほとんどは電気工や左官工、タクシードライバー、公務員などごく普通の人々。お金持ちではありません。「サプール」であるために平日一生懸命働き、お金をためて高級な服を買う。週末になると着飾って、街に繰り出す姿は地元のスターのようです。身なりだけではなく、洗練された立ち居振る舞いや真摯な生き方は憧れと尊敬を集め、周りに良い影響を与えています。
サプールを取材したNHKのディレクター影嶋裕一さんの著書「WHAT IS SAPEUR?」には、「いい服を着たら、その服に見合った態度をとらねばならない。すなわち紳士でいることが求められる。」「サプールで身についたことは日常の中でも、普段着のときでも守られている。」と彼らの印象が綴られ、サプールたちへのインタビューが記されています。
その一人、サプール界のレジェンド、セブラン・ムエンゴさんは森林経済省の事務員。彼は懸命に働いてそろえた服の全てを内戦で失い、戦争の無意味さ、悲惨さを痛感したそうです。「サプールは武器を持たず、軍靴の音は鳴らしません」、「サプールと戦争は対局にあります。共存などできません。サプールであり続けるということは、非暴力の運動でもあるのです。」
パリでファッションブランドを立ち上げたジョスラン・アルメル・バシュロールさん。「人というのは、生まれてからずっと、いろんな困難が待ち受けている。これは当たり前のことだよ。でも、生きていくために何を元気の源にするか、これが大事だと思うんだ」「僕が生まれたこの国は、日本よりもずっと貧しい国で、問題だらけだよ。だけど、サプールがあったから自分に自信がつき、こうしてやりがいのある毎日を送れる。」と語っています。
平和主義が絶対のサプールでありながら、9年間兵士だったキンベンベ・ユゼブさん。内紛下での蛮行を目の当たりにし、応戦するため銃を手にせざるを得なかった。その彼だからこその言葉です。「武器は悪魔の道です。服は健全な道です。戦争からは何も生まれない。綺麗な装いをした人は争いや、混沌としたものを避けるようになります。綺麗な服装は心まで綺麗にします。みんなの心が綺麗になれば戦争なんて起きないんです。」
サプールの生き方は、国が平和でなければ存在しない。サプールたちは子供たちにその精神を伝えているそうです。「生き方」に美意識を磨いている人の判断は間違いが無いだろうし、行動は正しく、また社会に対して善をもたらすことになるでしょう。それは私たち人間が普遍の価値とする「真善美」そのものの追求だと思うのです。