「あの~、Nさんからお電話ですが…。」数年前のある日、職場に一本の電話がかかってきました。
N(苗字だけ)さんとは誰なのか、心当たりがありません。不審に思いつつも「はい、釜谷です。」と電話にでてみると、「釜谷さんですよね、Nです。」「失礼ですが、どちら様でしょうか。」「俺だよ俺、学生時代に一緒にアメリカへ行ったNだよ。」「えっ、ひょっとして〇〇か?!」「そうだよ、〇〇や!!」
それは実に45年間会っていなかった、青春を共に過ごし、かつて私が〇〇と呼んだ大学時代の友人からでした。年齢を重ねた今、もし無事でいるなら、この世にいる内に会ってみたくなって、ネットで私の名前を検索したらヒットしたので電話をくれたそうです。会話を進めるうちに、歳月の隔たりを忘れ学生時代の感覚に戻っていきました。私もこれまでの人生で、幾度も彼の事を思い出す機会はありましたが、卒業後それぞれの分野に進み、45年経ってしまいました。私を探し出した〇〇の行動力が一枚上手だったという訳です。
さっそく会うことになりました。まあ長い年月が経過しているので外見にはそれなりの変化があるものの、面影は昔のまま。話し方や言いそうな言葉、雰囲気は学生時代そのものです。「あの時こうだったよな」と懐かしい話に花が咲き、タイムスリップしたような気持ちになります。お互いに家庭を築き夫や親としての顔、ばりばり働く職場での顔など話は尽きません。再会以来、空白を取り戻すかのように、再び友情で繋がるようになりました。
約45年という年月は、皆さんのお父さんやお母さんが生まれた頃に近いかもしれません。そんな隔たりがあったとしても、昔の自分に戻り、すぐに距離が縮まるから不思議です。若い頃、素直な気持ちで気の合った人間と楽しい時間を過ごす。また、勉強やクラブ活動を通して共に切磋琢磨し、お互いを高め合い成長していく。それが一人ひとりの人格のベースになっていく。私の場合も、今から思えば自分の考え方の基礎はこの頃に出来あがったような気がします。いわば自分の価値観が固まっていく原点の頃の友人だからこそ、分かり合えるものがあり色褪せないのだと思います。
来月4月には皆さんそれぞれ次のステージに進むことになりますね。環境が変わっても常に連絡を取り合う仲間もいれば、私と〇〇のように特に理由もないけれど疎遠になっていく友達もいるかもしれません。いろんな友達との関係があるでしょう。ただ、学生時代の友達は社会に出てから出逢う人たちとは異なります。学生時代にこそつくれる人間関係がある。真剣に友と過ごした時間は目には見えませんが宝物になると思います。みなさんも是非、大事な宝物を育ててほしいと願っています。