今年は履正社創立100周年。およそ100年前に、大阪でどんなものが誕生したのか、興味があったので調べてみました。その一部をご紹介しましょう。食文化でみると、大阪発祥の食品メーカー、ハウス食品(当時:浦上商店)が1926年に缶入りのカレー粉を販売、カレー料理の一般家庭への普及につながりました。また、本校と同じ1922年には、おなじみのグリコが大阪で誕生しています。
和食の代表格のひとつ「松花堂弁当」も、100年前頃に生まれました。みなさんは「松花堂弁当ってなに?」と言うかもしれませんが、十字の仕切りを入れた四つ切り箱に、各ブロックにお刺身や天ぷらなどが盛り付けられているものです。どこかで目にしているのではないでしょうか。
「松花堂弁当」は、江戸時代初期の僧侶、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)にそのルーツはつながります。石清水八幡宮の社僧になり真言密教を極め、阿闍梨(あじゃり)になった高僧です。茶道に秀でて、書画、作庭、歌人としても優れた作品を後世に残しました。昭乗は農家の人たちが四角い箱の中を十字に仕切り、その中に種を入れていたものを気に入って、茶会の煙草盆や、書画の絵の具などを入れて使ったそうです。
石清水八幡宮は日本三大八幡の一つに挙げられる国宝ですが、明治時代の神仏分離令により、石清水八幡宮と共に山内で信仰されていた各寺院は一転、廃寺になりました。松花堂昭乗ゆかりの滝本坊(たきもとぼう)もその一つです。その後1918年(大正7年)に滝本坊を受け継ぐ寺院として泰勝寺が麓に建立されました。
そして、およそ100年前の昭和のはじめごろ、大阪に源流をもつ日本料理「吉兆」の創始者、湯木貞一氏が泰勝寺を訪れこの箱を見そめ、料理人ならではの感性で盛り付け、工夫を重ねたのです。このかたちを好んで使った松花堂昭乗に敬意を払って「松花堂弁当」の名前を付けたと言われています。十字に仕切っているおかげできれいに盛り付けやすく、また各料理の味やにおいが混じりません。美しさと機能性を備えていることもあり、全国にこのかたちが広まっていきました。
現在は、八幡市立松花堂庭園・美術館に、昭乗が遺した作品、昭乗と交友のあった人たち並びにゆかりの美術品が展示されています。名店「吉兆」が入り口付近で営業されていて、もちろん「松花堂弁当」があります。とある日曜日、松花堂庭園・美術館に足を運びました。
せっかくなので、松花堂弁当をいただきました。今まで何度も目にしてきて、特に気にしていなかった、食事を盛り付ける箱ですが、改めて品格を感じ、こうしてストーリーを知るとなんだかその分おいしい。「知る」ことも味付けのひとつなのかと思いました。自分の周りにある、普段あるもののストーリーをちょっと調べてみる。知る前と知った後ではものの見方、感じ方が変わってきて、それはちょっとした愉しみだなと思いました。
【参考】
■ハウス食品HP カレー辞典ハウス食品の歴史
https://housefoods.jp/data/curryhouse/know/home.html
■GlicoグループHP創立100周年記念サイト
https://www.glico.com/jp/100th/history/
■京都吉兆 HP
https://kyoto-kitcho.com/media/2002/yume.html
■松花堂庭園・美術館HP