やっぱり桜はいいな。毎年、春になるとそう思います。
一輪一輪は小さくても集まって咲くと圧巻の美しさを見せる。寒い冬から待ち遠しかった春の訪れを告げるように咲き誇り、桜は日本人のみならず、海外の人たちにも愛されてきました。
海外にも桜の名所は数多くありますが、中でも有名なのがアメリカ合衆国の首都、ワシントンDCの桜並木でしょう。この桜並木ができたのは1912年。今から110年あまり前のことです。
ことの発端は、来日した紀行作家のシドモア女史が見事に咲き誇った桜と、それを愛する日本人の姿に感銘を受けアメリカにも桜を、と強く願ったことから始まります。
1885年、シドモア女史は当時埋め立てが行われていたポトマック河畔に桜の植樹をとワシントンDC当局に提案しました。しかし、馴染みのない日本の花には関心が集まりませんでした。それでも女史は寄附を集めながら地道な活動を続けていました。
月日が流れ、ポトマック川畔に後世に残るものを考えていたヘレン・タフトアメリカ大統領夫人とシドモア女史が出会う機会があり、シドモア女史が桜の植樹を提案したところ、二人はすっかり意気投合しました。そしてこの計画を日本総領事が知るところとなり、当時、日露戦争終結にあたってアメリカ合衆国に仲介のお礼を考えていた日本国は、日米の友好を願って桜を寄贈することとなったのです。
しかし計画は簡単にいかず、送った2000本の苗木が病害虫に蝕まれ再度送らなければなりませんでした。二度目となる3000本の苗木は、兵庫県伊丹市東野で育った山桜の台木に、東京・荒川堤の桜を接木したものが贈られました。シドモア女史が行動を始めてから実に27年以上の歳月が経って実を結んだのです。
一方、人々の思いとは裏腹に、アメリカの議会では1924年、排日移民法が可決され、それに抗議してシドモア女史はスイスに移住しました。二度とアメリカには戻らず、その遺骨は横浜の外国人墓地に埋葬されているそうです。そして、日米が戦う第二次世界大戦中も幸いなことに日本を連想させる桜は伐採されることなく生き残ることができました。
片や荒川堤の桜は戦時中の空襲や燃料不足解消のため薪にされ、戦後は公害の影響で消滅してしまいました。そこで今度はポットマック川畔の桜の遺伝子を持つ苗木がアメリカから1952年に55本、81年に3000本贈られ、荒川の桜並木は見事によみがえったのです。
シドモア女史の眠る墓碑のそばにはポトマック川畔から里帰りした桜が植えられ「シドモア桜」と名付けられています。この里帰りの桜は伊丹市の瑞ケ池公園と伊丹市立図書館ことば蔵にも植えられていることを付け加えておきましょう。
若い皆さんにとって桜は気になる存在ではないかもしれません。私も若い時は気づいたら散っていたぐらいにしか思っていなかった。でも、ある年齢になると、その美しさや存在に気付くようになる気がします。それが桜の魅力なのかとも思います。「来年は桜を見ることができるだろうか」そう思う人もいるでしょう。桜は人々の心をつなぐ、平穏な空の下で愛でる。そんな日々はありがたいことではないでしょうか。
やっぱり桜はいいな。毎年、春になるとそう思います。
参考資料
■「ポトマックの桜物語-桜と平和外交-」(海野 優著:学文社発行)
■アメリカと日本を結ぶ桜 | April 2021 | Highlighting Japan (gov-online.go.jp)
■米国ワシントンの桜は伊丹産|固定ページ|伊丹市観光物産協会 (itami-kankou.com)