こんにちは。履正社医療スポーツ専門学校 広報部です。
教職員インタビューvol.7、柔道整復学科の青木孝至先生インタビューその2です。
青木先生は、昨年開催された「東京2020オリンピック」のメディカルスタッフとして、会場での救護に当たられました。オリンピックにおける医療サポートは、どのような現場だったのでしょうか。お話をうかがいました。
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「オリンピックでは、いつもと違う視点で新たな発見や経験を積めました」。
――東京2020オリンピックでは、どんな現場に参加されたんですか。
ボート競技会場(海の森水上競技場)のメディカルスタッフとして、主に選手やコーチの医務を担当しました。これまでは同じボート競技の日本代表チーム(主にU19)のトレーナーとして関わっていたのですが、会場救護としての参加は初めてでした。
――印象に残っていることを教えてください。
オリンピックという大舞台ならではのプレッシャーを感じる中で、ドクターや看護師、理学療法士といった仲間とともに研修が始まりましたが、新型コロナ拡大のため集合研修が早々にできなくなり、オンデマンドでの研修が中心に。たくさんの動画を何度も見直す時間が必要で、確保に苦労しました。開催5日前に競技場に集まり、様々な想定をシミュレーションして最終チェックを終え、当日を迎えました。
(写真提供:青木先生)
――(ボート競技の)会場はどんな雰囲気でしたか。
新型コロナやセキュリティへの対策は徹底されていましたが、日本の猛暑による熱中症を一番心配していました。特に南半球は冬の時期で、選手たちもあまり日焼けしていないことが気がかりで。私たちはゴール付近のポンツーン(選手がボートを降りる浮桟橋)のそばにテントを設置し、いつでも出動できるようストレッチャーや車いす、アイシング用品などを用意し、ドクターとともに待機していました。実際、暑さの厳しい日はゴール直後、ポンツーンでボートから降りられなくなる選手が続出することに。数日後、台風が近づきだしてから風が吹くようになり、熱中症は減少しました。裂傷や腰痛などいろいろな傷病も発生しましたが、大事に至らず無事に大会が終了しました。
――オリンピックに関わったことで先生ご自身に変化はありましたか。
毎日、メディカルチームの仲間といろいろなケースを想定して話し合い、より良い改善を目指して進めていく準備作業はとても刺激になり、日々チームが結束していくような実感がありました。救護スタッフとして、ケガだけでなくどんなイレギュラーなことに対応できるよう様々なことを知っていく必要がある。改めてそう感じましたし、いつもと違う視点で新たな発見や経験を積むことができました。
賛否両論ありましたが、世界各国の選手が必死に競技に挑み、コーチとともに一喜一憂する姿は感動的で、開催できて本当に良かったと思います。
次回は青木先生が医療の道に進んだ経緯について。青木先生の人生を変えた出来事とは? 最終回もお楽しみに。
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<広報Mの取材メモ>
オフの日はどんな風に過ごしていますか? とうかがったところ、「たまに高2の息子と他愛もない話をしながら自然の中をウォーキングしたり、トレーニングをするのですが、この時間がとても好きです。仕事で福井県の三方五湖方面に毎週行くので、少し早めに出かけて湖をぼーっと眺めたりもします。気持ちが癒されます」とのこと。自然の中でのんびりと過ごすことは、パワフルな青木先生をオフモードにする大切な時間なんですね。